2021/05/14 00:11


最近ふと心に浮かんでくることたちを

つらつらと書くだけの記事になります。


聖書の世界・信頼・エントロピー増大の法則

ひとくくりの繋がったお話です。


聖書とありますが、これは宗教の話でも、儀式や律法の話でもありません。



まず

エントロピー増大の法則とは、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、↓の図が非常に分かりやすいかもしれません。



参考(https://washimo-web.jp/Report/Mag-Entropy1.htm)




聖書が信仰者に約束している世界は、上記の図の

究極に「エントロピーが低い状態」に向かっています。


しかし、人間やすべての被造物、宇宙や天体さえも、現時点よりもエントロピーが低い状態に向かうのは不可能です。一瞬一瞬、混沌に向かっています。万物に変化しない確かなものはひとつとしてないですね。

そして私が気づいたもうひとつのことは、

「究極にエントロピーが低い状態」は、聖書の中の創造主(父なる神)に至るということ。





近年、「全て受け入れる」「良いも悪いもないのだ」という風潮が美徳のようになっています。

これは、無秩序・混沌に向かっていることとイコールです。

それは当然のことで、創造が始まってからというもの、エントロピーは高い状態にしか向かっていきません。

そのまま放っておけばそうなっていくのが自然の流れです。

乱雑さに伴い、不確かさはどんどん増していきます。

余談ですが聖書的には、天上に存在する悪魔とその諸霊たちは混沌を喜びます。低級なのです。一応、悪魔も悪霊もまだ地獄ゲヘナにいるわけでは無く、地上と天上をフラフラしながら時々良き天使のフリなんかしたりしています。(日本人には毛嫌いされがちな現実離れした話ですみません。汗)


霊の認識に関しては、ぶっ飛びすぎているので今回はお話しないでおこうと思います。



きっと上記の話は、9割の人には?だと思います…。

殴り書きで申し訳ありません。




では突然ですが

皆さんは、人生において

何に信頼を置いていますか?



ふむふむ

うんうん



自分に信頼を置いているでしょうか。

どうでしょう。

今日は必ず運動する!

そう決意したのに結局しなかった。

絶対にこんな風になる!!

…そう思っていたのに、全然違う自分になっている。

自分ですら決めたことを守れないことがしょっちゅうありますね。

私たち人間は、自分自身でさえ、思ったほど信頼できません。

自分ですら自分のことを裏切ります。

人間を含め万物はひとつとして完全ではありませんし、不確かでコロコロと移り変わっていきます。

老化を止めることが出来る人は誰もいませんよね。笑


エントロピー増大の法則から言うと、カオスに向かっていきます。



世の中のあらゆる営み。

被造物に期待したり、頼りにしていると

その信頼はいとも簡単に裏切られてしまうかもしれません。

空でさえ、今見た空は1秒後にはもう2度と見ることができません。そして行く末は不確かで、乱雑さは極まって行き、働きの度合いも小さくなって行きます。

人は生まれた瞬間から一瞬一瞬、死に向かっており、老化が進む毎に出来ることが少なくなっていきます。


エントロピーは増大し続けるから…



旧約の時代の人間の寿命は1000歳ほどでした。そしてその時代は大規模な奇跡が沢山行われていました。それはまだ今よりも遥かにエントロピーが低い状態だったからだと考えます。

今の時代、モーセのように海を割る人間はどこにもいませんね。笑



成功は素晴らしい

恋愛は素晴らしい

お金は素晴らしい


でも、これらのうちどれも、信頼を置くには値しません。

エントロピーは高まるのみですし、不確かさは増して行くからです。


だからここに信頼を置き、軸にしていると

それが一瞬のうちに醜く変化した時

信頼は砂のお城のように崩れてしまいます。


酔っ払いの状態から醒めると、すべては風のように虚しいということに気づいてしまいます。


世の中のことは、酔っ払った状態でないと信頼を置けないのです。

恋愛なんかは特に、泥酔ということが明らかだと思います。笑


世の中は、不確かなものを確かだと勘違いしてしまうことのオンパレードです。



じゃあこの世の中、何一つ信頼に値するものは存在しないじゃん!

これが結論・・・なのですが



それでは


永遠に確かで、完全な存在(全知全能)があるとしたら?

それが唯一、信頼に値するものだということがわかりますね。


永遠に変わらず確かな存在に信頼を置くなら…

その人は周囲で何が起こっても、瀕死の状態になっても、

本当の意味で倒れることは決してありません。

常に喜んでいることができるのです。



そして、その存在に信頼を置くなら、、

その存在に似た性質を宿していくので

エントロピーは低い状態に向かっていくのです。

全ての被造物が向かう方向とは正反対の、真逆の方向です。


冒頭にお話しした、エントロピーが究極に低い状態は、

そう、創造主(父なる神)です。


母なる地球でも、宇宙でも、天使でもマリアでも人間でも動物でもなく、創造主だけです。


太陽でさえ宇宙でさえも被造物です。その天体は形成された瞬間から着々と爆発、破壊に向かって進んでいきます。常にカオスに向かって変化していますよね。ですからこれらに信頼を置いていると、その信頼はいずれ裏切られてしまいます。

これが聖書で偶像崇拝が禁じられている理由です。

そしてその意図は〜してはならないと守らせるためではなく、どちらかと言うと「真理を悟ったらあなたは自然と偶像崇拝をしなくなる。」というニュアンスだと感じます。(他にも神が人に律法を与えた意図は人智を超えて沢山あります。)



ここまでの結論それぞれに、説明すべきことが沢山あるのですが、お話ししていると5000ページぐらいの本になりそうです。。しかも、これは人間の脳だけで理解するものではありません。



そしてこのあと私の中では

Crime と Sin の話に繋がったのですが、複雑になりそうなのでブログではここまでにしましょう。



創造主って、神社やお寺に行って神様にお願いすればいいってこと⁈

私は幼少期から22歳まで、それをしてきても返ってきた答えは残念ながら沈黙でした。

本を読み漁ってもスピリチュアルをかじって瞑想やリチュアル的なことを習慣化してみても、被造物に頼ってみても、断片的に納得できることは沢山あったのですが、体験的に完全に筋が通ったことはなかったのです。


自分以外に神がいるのではなく自分が神だと認識する傾向にある世の中ですが、だとしたらなぜ万物を断定的に説明することができないのでしょう?

神は全てを意図して始めた者ですから、全てを知っているはずです。神はエントロピーが究極に低い状態に存在します。ということは人間を含め全ての被造物とは対極に在ります。

「エントロピーが高まるのみ」である人間が、その対極の「エントロピーが究極に低い状態」であるはずがないことは明らかです。


自分の寿命すら断定できない人間が、神であるはずがありません。

死に支配されている全ての生き物が、神であるはずがないのです。


だから自分の中のエセ神に向かっていくと、確かさは益々見つからず、混沌しかありません。

この認識はカオスに向かっていく世の中で出てくるものだと私は感じています。


天地創造論って物語の話なんじゃ?唯一の神なんかがまだいると思ってるの?と思われるかもしれません。

とても分かります。

私もその立場に長く居ました。


天地創造に関しては一部インスタグラムの「He is risen」でお話しています。



ここまできて一番最初の、エントロピー増大の法則の原理

“自然のままに放っておくと、エントロピーの低い状態から高い状態へ変化して行き、外から故意に仕事を加えてやらない限り、決してその逆は起こらない。”

この、 “外から故意に仕事を加える”ことができる存在は、創造主だけですが

カオス、無秩序、乱雑、働きが小さい方に向かって行き最終的には…の状態に


仕事を加えた存在が聖書の世界で、Yeshua(イエス)ということになります。


そして、Yeshuaが天地創造以来初めて完成させたある仕事を受け入れると、

 “まったく新しくなる”と言われている通り

その人はエントロピーが低い状態(至 創造主)に向かっていくことが


被造物至上、初めて可能になります。


エントロピーが低い状態ということは、「不確かさ」の反対ということですね。

ということはすべて確かで、全てがどうなるか決まっている、その地点までも知るということになります。

決して外れない預言…のようなものですね。



完全で強固な土台に家を建てたらどうなるか…


文字通り最強の家になります。


あなたは

エントロピーが高い状態と

エントロピーが低い状態

どちらを好みますか?


後者が好みという方は、


創造主に信頼を置いて、エントロピーが究極に低い状態に行くとどうなるか、味わってみたくありませんか?


選び取ることは、究極の愛のひとつかもしれません。

選択せずに放っておけば、自然とエントロピーは高い状態へと向かっていくだけなのです。



特に困ったこともなくなんとなく平和にやっていけている人は、あー、こんな話、必要ないない。別に向き合わなくていい。となってしまい、ずっと放っておくことでしょう。エントロピー増大に乗っかっていくことでしょう。


しかし絶望の淵に立っている人、苦しみの中に在る人は、必然的に核心的なことに向き合わざるを得なくなります。

ですから私は、絶望、苦しみを見ている人は大きな希望へのチャンスを迎えていると、喜ばしく考えます。


実際私は、恵まれたことに

絶望の淵、究極の闇を通ったあとで心が溶ける体験をし、

それがキッカケとなり心に絶対的な平安を得る答えを、創造主に示してもらえたからです。




✶今日の聖句✶ 


心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。箴言3:1-12


「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終りである。」黙示録22:13



May God bless you.


Love, Joelle